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有楽町線人身事故。


最初は怖くて逃げだした。
二回目は気分が悪くなり吐いた。
三度目は救助の現場にちゃんと立ち会った。
四度目でようやく慣れた。

そして気づけば、もう何回その現場に立ち会ったのか忘れるくらいになった・・・。


午後2時。ラッシュ時でなかったのは不謹慎だが幸運だと思う。
跳ね返った血が、着ていた白いシャツを赤に染めた。
「あーあ」
赤い血が空気に触れて黒く染まる。その色が生々しく、赤黒い血の匂いがひどく鼻についた。
「振り替え輸送頼まないとな」
職員に現場を任せ、休憩室へと向かう。

「営団。貴様止まったそうだな!!まったく。軟弱で困ったものだ・・・。大体・・・」
今この恰好で一番会いたくなかったのに・・・。
血で染まった俺を池袋はどんな目で見ているのだろう。そう思うと少し怖かった。
「・・・貴様、何て顔をしている」
「え?」
池袋の言った事が理解できない。顔?普通にしているはずだ。少し疲れはしているが・・・。
「来い」
「え!?ちょっ!!池袋?!」
強引に手を引かれ仮眠室へと連れて行かれる。薄暗い部屋の奥にあるシャワー室。
服のまま俺を放り投げた。
暖かなお湯が全身にかかる。もちろん服を着たままシャワーを浴びた事などない。
暖かなお湯が布越しに伝わる感触が不思議だった。
池袋を見上げると、不機嫌そうに立ったまま。
何でこんな事を・・・。その疑問が頭を巡る。
「池袋・・・?」
俺の問いかけに、池袋は不機嫌そうな顔のまま、シャワーを止めた。
「人身が怖いか?有楽町」
「どうして?」
あまりに長い間向き合ってきたというのに・・・。それは池袋だって知っている。何故今更そんな事を聞いたのだろう。
「貴様の目に光がない。何かを我慢している顔だ」
「な・・・で?」
言葉に詰まった。真剣な池袋の顔。全てを見透かしているかのように、まっすぐ俺を見ていた。
怖い?
そんな事・・・
「池袋が何を言っているかわからないよ。人身事故はどこでも起こるし、俺達なら尚更出くわす回数が多いだろ?今更怖いもなにもない」
そうだ。血を見て逃げ出すのは最初だけでいい。
「なら、どうしてそんな顔をする」
「わからないよ。俺はいつもの顔で…」
「嘘をつくな!!」
それは池袋が拳を振り上げ、壁を叩いた。その音は思っていた以上に大きく俺の耳に響いた。
「私は貴様を長い間見てきた!!副都心開業の混乱でさえ貴様はそんな顔をしていない!!」
「・・・ははっ。お前、よく見てるな・・・」
知らなかった。池袋が自分をちゃんと見ていてくれたなんて。
嬉しい筈なのに、なぜか泣きたくなった。
その理由はわからないまま、俺は池袋の顔が見られなくなって、下を向いた。こうすれば、もう見透かされなくて済む。

「貴様は、そうやって自分を抑えて我慢をしている。それが気に食わない」
「わからないよ。どうすればいい?」
長い間そうしてきた。
「弱音を吐いてみろ。こんなになるまで抑え込まれるよりよっぽどましだ」
池袋に言われるくらいだ。よっぽどひどい顔をしていたんだろう。
弱音・・・。池袋は聞いてくれるだろうか・・・。呆れてしまわないだろうか?
それだけが怖い。
「有楽町」
「・・・人の人生にとやかく言うつもりはないし、そんな権利もない。けど、それでも血を見るたびにどうしようもない気持ちに襲われる時があるんだ。気持ちが弱いと思われてもかまわないよ。お客様を最優先にしなければならない事もわかってるんだ。慣れないんだよ・・・いくら年月が経ってもこれだけは慣れない。だから仕方ないと諦めるしかなかった。諦めてその場を繕うしかない」

「・・・っ」
池袋が軽く舌打ちをしたように聞こえた。それはそうだろう。呆れられても仕方がない。弱い自分を曝してしまったんだから・・・。
「池袋・・・ごめ・・・」
俯いていた顔をあげて池袋を見ようとした瞬間腕を思い切り引かれ、唇に何かが押し付けられた。
それが池袋の唇だと知ったのはしばらくしてから。強引に、俺はキスをされていた。
「人が死ぬ現場など、慣れるやつはいない。己自身に言い聞かせて奮い立たせているのだ。だから、貴様を罵る事も甘やかす事もせん。自力で立ち直って帰って来い」
そう言い残して池袋はシャワールームを出て行ってしまった。
あまりの展開の速さにしばらく呆然としていた。
「何だよ・・言うだけ言って・・」
池袋なりの励まし何だろうか。そうなら何て強引。それでも、俺を引きあがらせるには充分の言葉。
「ありがとう。池袋」
触れた唇を抑えると、まだ熱い気がした。
厳しくて優しい池袋。
その優しさが嬉しくて少しだけ泣いた。滴る水がこのどうしようもない気持ちを洗い流してくれる。そう信じて。