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大人になるのだ、そう遠くない未来。
そう、彼は言った。




そもそも、わたしではなく、本人が届けるべき書類だったのだ。そう西武有楽町はぼやいた。
本部で西武職員から書類の入った封筒を渡され、行き先を指定された。
西武の電車に揺られて、ついでに在来の電車にも揺られた。
不愉快だと思いながら西武有楽町はじっと我慢でおとなしく座っていた。
行き着く先は知っていたが、自分ひとりで降りた事はない。 知らない場所には必ず池袋が隣にいた。今回も池袋に相談をすべきはずなのだが、何を思ったか西武有楽町は一人で目的地まで向かっている。
不安だったが、何とかたどり着き、職員らしき人物を発見し、後をつけた。奇跡的というのか、何とか無事に事務所に到着し、書類を渡しお辞儀をする。ここまでは大成功だと、西武有楽町は満足そうな顔で広い廊下を歩いた。

ここまでは良かったのだ。ここまでは…。

それから、またしばらく歩いて行くうちに迷い、また職員であろう人物の後をつけたらここまで来てしまった。
ついてきた先が誰もいない大きな倉庫。
思ってもいない場所にただ立ちすくむことしかできなかった。
暗く、鉄の匂いが西武有楽町の背中を冷やした。
こんな所に来るはずではなかった。
いつの間にか職員もいなくなっている。とうとう一人ぼっちになってしまった。
素直に池袋に相談をすれば良かった。そんな後悔が襲うが、今となってはどうしようもない。
ポケットにある携帯電話を取り出し、着信履歴を確認すると、有楽町と池袋が交互に着信履歴に残っている。それも全て分刻み。着信履歴の欄はたった数分間の間に埋まるほどお互い競うように西武有楽町に電話をかけてきていた。
マナーモードがサイレントモードになっていた所為か、ポケットに入れていても気づかなかった。
「せいぶいけぶくろ…ゆうらくちょう…」
二人の優しい笑顔が急に恋しくなった。
コールボタンを押そうと手を伸ばす。が、恋しい気持ちをぐっとこらえ、押しかけた手をひっこめた。
用事を頼まれたのは自分だ。ここで助けを求めたら全てが台無しになってしまう。自分で最後までやりとげなくては…。
西武有楽町の妙な責任感が、甘えを断ち切らせる。
けれど、職員のあとを必死に追うあまり、周りを見ていない。広い倉庫にはいくつか出口があり、どこにつながっているのか、来た出口を進んだとしてもそれからどう帰ったらいいのかもわかならい。
絶望感が西武有楽町を襲い、涙ぐませた。
「…あのっ!!」
誰もいない倉庫から、声が聞こえた。とても小さくか細い声。
「ひぁ!!」
その声に、ビクリと肩を揺らし、思わず声を漏らした。
「…ご、ごめんなさい。驚かせてしまって…」
使われていない車両の陰から、西武有楽町と同じくらいの少年が顔を出す。
茶色い髪と深緑の制服。在来線とも私鉄とも違う。どことなく不思議な雰囲気の少年だった。
「なっ、何だ貴様」
「あのっ…誰ですか??こんな所で…」
「き、貴様こそ!!こんな場所で何をしているのだ!!お、驚いたではないか!!」
「ごめんなさい!!ごめんなさい!!」
思ったより気弱な少年を訝しげに眺めた後、
「貴様、どこの線だ?」
「あの…長野です」
「ながの??」
「はい。JR高速鉄道…長野新幹線です」
高速鉄道、新幹線の話を池袋から聞いた事がある。JR在来線の上官で、スピードと金儲けだけしかない国の犬。
さんざんな内容だったが、西武有楽町にはとても興味深いものだった。
100キロ以上のスピードはどんなものなのだろう。出したことも、経験した事もない西武有楽町はただ思いをはせるだけ。

だが、大人ばかりと思っていたのに、実際はこんな幼く小さな少年が高速鉄道なのだ。
「君は?」
「わたしは、西武有楽町だ」
「西武…私鉄?」
「そうだ!!誇り高く、素晴らしい西武だ!!かいちょうばんざい!!」
「す、すごいね…」

「で、貴様は何をしていた?」
「頼まれ事でここまできたんだけど、帰り道迷ってしまってここまで…」
「私と…一緒か」
「一緒です」

「帰り方は知っているのか?」
「…それを聞こうと思ったんです…」
「…そうか…」
お互い無力な事を悔んだ。もう少し自分がしっかりしていれば、こんな所で迷うことなどなかったのだ。
「このまま、誰も迎えに来なかったら…」
ぽつりと長野が漏らす言葉に西武有楽町も不安を覚えた。
「やはり…誰かを呼んだ方が…」
今、一番利口な考え方なのではないだろうか。西武有楽町は握りしめた携帯を持ち直す。
「だ、だめ!!」
それを制止させたのは長野だった。

「JR高速鉄道は常に誇りを持ち、どんな事にも冷静に対処しなければならない。人に迷惑をかける事は、信用ならびに自分の名誉を傷をつけることになる。自己で責任を持ち、決して公に騒ぎを起こすことをしてはならない。下の者の為、常に我々は上位にいなければいけない。…だから・・・だから・・・」
JRの教えを長野は教科書を読む子供のようにすらすらと言ってのけた。
まるで頭に染み込んだ言葉のように・・・。

「ながの?」
西武有楽町は黙って長野を見ていた。瞳の奥の固い決意。
「僕たちは常にプライドを背負っているんです。だから、助けを求めるという事は、プライドを捨てる事になる。そう、先輩に教わりました」
「わ、わたしだって同じだ!!西武という名を背負っているのだからな!!こんな事で迷惑をかけるわけにはいかない!!」
「僕たちは似ているんですね。お互いプライドが高く、甘える事を知らない」
「…」
「…損をしてるなって、思うんです。甘えたいけど、許されない」

高速鉄道だから。

その一言で片づけられるのだ。
それは時に特権となり、時々とても邪魔となる“プライド”というしこり。
「だが、いつまでもこうしてはいられないぞ…」
「そうですね。けど、僕はあなたがいてくれて良かった。少なくとも一人じゃないのは心強いから」
お互い繋いだ手がとても温かかった。
「ん。私もだ」
小さい西武と小さい長野。決して交わる事のない二人。
けれど沈黙の中の空気はとても穏やかだった。体温が心地よく体を流れた。
「良い案があったら、言うんだぞ!!」
「はい!!絶対自分の場所へ帰りましょうね!!」
「もちろんだ!!」
お互い励ましあいながら…。




しばらく、二人で考えを出したが、何一つ解決する方法は見つからなかった。
そろそろ暗くなる。もう、この場所にはいられない。
繋いだままの手が唯一の救い。だが、長野の不安は拭われる事はなかった。
「…西武有楽町さん?」
ふと、西武有楽町は立ち上がった。離れた手が少し寒くて、ぎゅっと長野はその手を胸元にあてた。
西武有楽町は何かを感じ取ったように、目をつぶり神経を集中させる。
「声がする…」
「えっ!?」
黙って目をつぶる西武有楽町に合わせるように、長野も目を閉じる。

―・・・!!―
―せ…だ!!―
声が次第にはっきりしてくる。
「この声…」
西武有楽町の瞳が大きく揺らいだ。

「西武有楽町ー!!」
「いるのなら返事をしろ!!西武有楽町!!」
先にいたのは有楽町と西武池袋。
何度も何度も名前を呼び、西武有楽町を探していた。
今すぐ駆け出したい。
逸る気持ちを抑え、長野を見た。一緒に、そう言おうとした瞬間、にっこりと笑って西武有楽町が何を言うのか悟ったように首を横に振った。
「僕は大丈夫です。言ったでしょ?ここで騒ぎを起こすわけにはいかないって。だから、行ってください」
「だめだ!!貴様もいっしょに…!!」
「忘れてました。僕にはいざという時用に発信機がついています。じきに誰かが迎えに来ますから・・・」
「ながの!!」
「ほらっ!!行ってください!!少しの間でしたが楽しかったです。また、会いましょう…」
これ以上、西武有楽町は言葉を続けなかった。固い意志がそこにあったから。決して見つかるわけにはいかない、助けを求めるわけにはいかない。
自分が長野の立場ならきっと同じ事をしていただろう。そう思って…。
他の私鉄、在来に見つかるなら、自ら残る選択を選ぶ。
西武のプライド、JRのプライド、お互いとても似ていた。
だから…。
「…わかった。わたしもたのしかったぞ。…またな」
お互い握手を交わし、その手をゆっくりと離した。
叶う保障のない願いを残して・・・。

西武有楽町は長野に背を向け、二人に向かって歩き出した。
一歩を踏み出すたび、さっきまで感じられらなかった不安が襲ってくる。
長野がいたから寂しくなかった。繋いだ手が救いだった。だが、もう彼の手を離れてしまった。一人ぼっち…そう感じさせてしまうほどに。
泣かない。そう決めていたのだ。それなのに、二人の姿を見た瞬間抑えていた涙がどっと流れてきた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁん」
咳を切ったように泣き出す西武有楽町。
「西武有楽町!!」
泣きながら駆けてくる西武有楽町を両手を広げて有楽町はしっかりと抱きしめる。
「大丈夫か?こんな遠くまで来て不安だったろう?もう大丈夫だからな」
「心配したんだぞ?いきなりいなくなっては駄目だろう」
「すっすみません…でした…」
「お説教は後回し。なんにせよ無事だったんだ」
「なっ!!私は別に…。貴様、そうやって西武有楽町を手懐けて営団に取り込む気だなこの泥棒猫が!!」
「…お前な。さてと、こんなやつは放っておいて、早く出ような。副都心も銀座も丸ノ内も、それに東上だってお前を探してくれたんだぞ?」
ひょいと西武有楽町を抱き上げ、歩き出す。
「貴様っ!!西武が一番心配したに決まっているだろう!!拝島なんぞ心配し過ぎて倒れたんだぞ!!」
「どうして…ここが?」
「GPSだよ。調べたらここが出た。まさかこんな所にいるなんて、驚いたよ。気づくのが遅くなってごめんな」
「一人で心細かっただろ?よく頑張ったな。それにこんな遠くまで、しかも一人で来れたんだ。立派だったぞ…。だが、次からは私にちゃんと相談しろ。黙っていなくなると心配するからな」
くしゃくしゃと頭を撫でる池袋の優しい表情に西武有楽町は頬を染めて頷いた。
でも、一人ではない。もう一人、自分と同じくらいの少年がいる。
「あ…っ」
今まで自分が隠れていた場所を見ると、にっこり笑って手を振る長野がいた。
「どうしたの?」
「ながっ・・・!!」
その瞬間、長野は人差し指を口元にあてた。
“自分は大丈夫だから”と。
そしてもう一度にこりと笑い手を振った。
「さて、帰るぞ!!こんな不気味なところさっさと出て外の空気を吸いたい」
「そうだな。行こうか」
有楽町の肩越しから西武有楽町も小さく手を振った。
小さくなる長野を見ながら、またなと小さく口を開いた。

「営団。しんかんせんはどんなものなのだ?」
だんだんと小さくなる長野を見ながら、西武有楽町は有楽町に訪ねた。
「そうだな。武蔵野は雲の上の存在とか言ってたな。神様レベルらしい」
「…そうか」
有楽町に抱かれ、自分を笑顔で見ている、小さな神様を西武有楽町は見えなくなるまで目に焼き付けた。
もう会うことのない、その神様を…。




彼は近い将来大人になるのだと言っていた。
自分は子供のまま。
自分は守られている。メトロにも、西武にも。
大人になりたいと背伸びをしていた。けれど、守られている、大切にされている事に優越感を感じているのも確かなのだ。現に今だって・・・。
彼に迎えは来るのだろうか。もしかしたら、あれは強がりだったのではないだろうか…。
今となってはもう知ることすらできない…。

誰かが長野を迎えに来てくれますように。
そう西武有楽町は祈り、目を閉じた。







三人の姿が見えなくなるまで、長野は羨ましそうに眺めていた。
そして、面倒を見てくれる上越や東海道等の顔を思い浮かべ目を潤ませた。
発信機なんてついてはいない。けれど、あの場合そう言うしかなかった。迷惑をかけるわけにも、JRという名に傷をつけるわけにもいかなかったから。
自分ひとりで何でもしなくてはいけない。小さい体で辛いことも悲しいことも受け入れてきた。誰も迎えになどくるはずがない。探しにくるはずなどない。
全て自分の責任なのだから。
大人になるんだ。成長をして、上越先輩を支えられるくらい立派になるんだ。
だから、こんな事で寂しくなんてなってなどいられない。
私鉄や在来線やメトロを羨ましくなんて思ってはいけない。
西武有楽町を羨ましいだなんて…。
膝を抱え、改めて自分の存在価値を探していた。
こんな所に一人で居るから、余計な事を考えてしまうんだ。
行動しなくては、自分の力で。
目に溜まった涙をこすって、立ち上がる。


―…がの…!!―

遠くからかすかに聞こえる声に、長野は耳を傾けた。

―ながのー!!―

自分の名を呼ぶ声が確かに聞こえる。
それは一人ではなく、複数の声。

―どこにいるのー?長野ー!―
どんどん近くなる。
―東北、君ももう少し声張ってよ―
―…長野出て来い―
―それ、まさか君の本気?―
―どこいるんだず。こっだな暗ぇ所ひとりで…―
―ちょっ、喋るな山形!!誰かに聞かれたらどうする!!―
聞きなれた声。大好きな人の声。
思わず長野は走り出した。
「せんぱぁぁぁい!!」

「長野いた!!」
秋田が思いきり長野を抱きしめる。
「どうしてここがわかったんですか?」
「ん?長野の携帯のGPSを使ったんだよ。全くもう!!心配させて!!」
理由は西武有楽町と一緒だった。確かに、自分も携帯を持っていた。西武有楽町についた嘘は本当だったようだ。
「でも良かったぁ!!」
秋田は強く長野を抱きしめる。苦しいですと息を詰まらせる長野だったが、抱きしめられ、秋田の心音早さに心配をかけてしまったと謝罪を込めて抱きしめ返す。
「みんな心配したんだよ。駄目だろう?何も告げずに一人でこんな所に行っちゃ」
「じょうえつせんぱい…ごめんなさい・・・」
「うん。いいよ。君が無事なら」
「怪我はないか?使われていない倉庫だから何があるかわからんからな」
「はいっ。とうかいどうせんぱい!!ご迷惑をおかけしました!!」
「無事で良かったよ。長野、大冒険だな!!」
「ご心配おかけしました。さんようせんぱい」
「ん…」
「やまがたせんぱいも、とうほくせんぱいも…ごめんなさい・・・」
頭を優しく撫でる東北と山形。

ごめんなさいとありがとうと沢山言った。
言うたびに涙があふれた。
沢山言いすぎて、とうとう零れ出してしまった。
「あーあー。どうしたの?怖かった?」
よしよしと宥めるように秋田が長野の背中を軽く叩く。

ちがうんです。うれしいんです。
こころがいっぱいになるくらい、うれしいんです。

涙で言葉にできず、ただ首を横に振るばかり。

「もうすぐ夕飯だろ?飯を食えば元気になるさ」
「秋田じゃあるまいし・・・」
「うるさいよ、山陽」
嬉しくて、くすぐったくて、長野は笑って泣いた。


自分はもうすぐ大人になる。
だからこそ、子供の今が一番貴重なのだ。
小さい自分、無力な自分が嫌だった。
早く大人になりたいと思った。
けれど、今はまだこのままでも良いと思う。
くすぐったくて、嬉しいこの気持のままが良いと思う。

帰り道、上越の背に揺られながら、西武有楽町の事を考えていた。
「じょうえつせんぱい」
「ん?どうしたの?」
「きょう、とても貴重なたいけんをしました」
「迷った事?」
「それもですが…不思議な子に会いました」
「ふしぎ?どんな子?」
「はい。プライドが高くて、意地っ張りで、けど、とてもまっすぐでした」
「友達になった?」
「…ともだち…なんでしょうか。けど、いつかまた会いたいと思いました」
「…そう」
「僕が大人になっても…会いたいと思いました」
今だって、その出会いは奇跡に近い。在来か、私鉄か、メトロか…。大人になったら、それこそ会えなくなる。私鉄やメトロなら尚更の事。
プライドとJRの誇りが格の違いを作ってしまうから・・・。
その事を、あえて上越は口には出さなかった。
「会えるといいね」
そう、優しく答えただけで…。
「はい!!」
長野は言わなくても気づいているから。

「長野は少し大人になったね」
「そっ!!そうですか?」
「うん。でも、もう少し子供でもいいかな」
「じょうえつせんぱい?」
「おとなになんて嫌でもなるなら、今この時を楽しんだ方がいいでしょ?」
「はい」
「長野はしっかりものだからね。もう少し子供らしく振舞ってもいいと思うんだ。じゃないと、僕がつまらない」
「え?」
「こうやって、僕を頼ってくれるのは嬉しいものなんだよ」
「じょうえつせんぱい」
「だから、大きくなる前に、もっと僕を頼って欲しいな」
「・・・はい。・・・ありがとうございます」
嬉しくて、ちょっとだけ泣いてしまった。

あの手の温もりと良く似た、優しく暖かなその温もりを感じながら…。