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大きな袋を手に、西武有楽町は嬉しそうに電車から降りた。買い漏らしはないはずともう一度確認しようと袋を開けると、黒い影が西武有楽町を覆った。
「買い物か?」
 後ろから聞こえる池袋の問いに、西武有楽町はビクリと肩を揺らした。何か自分はまずい事を言ったのだろうか、固まったまま動かずヒクヒクと口元を動かすだけ。どうしたのかと口を開いた瞬間、
「なっ!何でもないのです!!」
 池袋さえ驚くほどのスピードでその場から消えてしまった。残された池袋は伸ばされた手さえ下ろせぬまま、ただ茫然と走って行った方向を見つめるしかなかった。
「何だったのだ?」









 ハァハァと息を切らせて西武有楽町は走っていた。大きなスーパーの袋の重みさえ忘れるくらい、池袋のフェイントに驚かされた。これは誰にも見つかってはいけない。
「約束を破る所だったのだ…」
 最後まで気を抜くべきではなかった。これは有楽町と約束した事。最後までやり遂げねばと辺りを警戒しながらやっとの事で辿り着いたのはメトロの仮眠室。
 コンコンと扉を二回叩くと、誰?と声が聞こえた。
「約束のモノをお届けなのだ!」
「うん、ありがとう。今開けるね」
 中から鍵が開けられ、にっこりと笑う有楽町が迎えてくれた。
「どうしたの?走って来た?」
「みっしょんが失敗するかと思ったのだ。でも大丈夫だ!」
「そっか。うん、じゃあ始めよう」
 手招きする有楽町。大きく頷くと嬉しそうに部屋に入っていった。
 仮眠室に備え付けの台所。そこに材料を並べ二人は顔を見合わせて笑った。
「有楽町、皆喜んでくれるだろうか?」
「うん。西武有楽町の気持ちが一杯詰まってるからきっと喜んでくれるよ」
「うむ!始めよう有楽町!」
「よしっ!夕方までにラッピングまでいこう!」
 ボールとヘラ、そして甘い香りのチョコレート。嬉しそうに二人はボールの中のとろりとしたチョコレートを溶かし、生クリームを入れていく。
 大きなハートは少し特別。小さな丸はお世話になっている人へのプレゼント。
「できた!」
 予定通りの時間にラッピングまで済ませ、嬉しそうに部屋から出る。行き先は二人別々。
「じゃあ、西武有楽町頑張って!」
「うむ!有楽町も!」
 二人で味見をして、美味しかったから味の保障は大丈夫。
 お互い手を振って別れる。一番大切な人の所へ…。





 西武線ホームにいた池袋を見つけ、有楽町は声をかけた。
「なんだ、貴様か」
 元気がないと言うか、何故か反応が鈍い。
「池袋、元気ない?」
「いや、そんな事はない。それよりどうした?」
「あ、いや…あのさ」
 自分から声を掛けておいて今更恥ずかしくなってくる。思えば手作りなど今までした事がない。こんな本命丸出しのチョコレート重くて受け取ってもらえないのではと不安まで襲ってきた。
「あーえっと」
「どうしたのだ。用があって来たのだろう?」
「そう、なんだけど」
「…貴様といい西武有楽町といい、今日はおかしいぞ」
「え?西武有楽町?」
「ああ。昼に声を掛けたのだがよそよそしくてな。しかも逃げるように去ってしまった」
「あーそっかぁ」
 ミッション失敗するかもと言っていたのはこういう事かと有楽町の中で納得した。
 少し寂しそうな顔をしていたのはその所為だったのかと悪い事をした気分になってくる。口止めをしたのは自分で、それを西武有楽町は忠実に守ってくれた。それなら答えを早々に教えなくては…。
「はい。池袋…」
 綺麗にラッピングされた包を池袋の前に差し出した。
「何だ?」
「今日、何日?」
「2月14…ああ、そうか」
 口に出して初めて知った。そういえば今日はやけに周りが浮足立っていた気がする。
「開けたら、どうして西武有楽町がよそよそしかったのか、わかるよ」
 何の事かと首を傾げたが、言われるまま池袋は包を開いた。中に入っていたものは不格好なハートのチョコレート。明らかに買ったものではない。
「手作りか?」
「あまり上手くできなかったけどね」
「これが西武有楽町と何の関係が…」
「一緒に作ったんだよ。オレが西武有楽町に内緒にしてくれって頼んだ。材料は西武有楽町が買うってきかなかったから、偶然池袋に遭遇したのは予想外だったんだろうね。もちろん、西武有楽町は池袋の所に届けに来るよ。でも、一番最後にしてってお願いしたけど」
「最後?」
「オレが一番最初に渡したかったからさ…」
 恥ずかしそうに俯く有楽町。西武有楽町に気を取られていたが、有楽町は自分にチョコを渡しに来たのだ。一番最初に、ハートのチョコレートを…。
「これは…本命か?」
「ひえ!?えっと、う、うん…」
「そうか」
「ご、ごめん。手作りとか重いかなぁって思ったけど、せっかくのバレンタインだし、いつもと違う事がしたくなったっていうか…あの…ごめん」
 何を言っているのかわからず謝ってくる有楽町に、池袋は苦笑した。謝る事など何もないのに…。
「本命でなくては貰わん。お前から貰うチョコはな…」
「重くない?」
「重いくらいがちょうど良いだろう。それに、お前に対して重いと思った事はないぞ」
「そっかぁ…良かった」
「それに、我々はもう関係を持っているのだ。重いなど思う方が可笑しいだろう」
「あ、いや。そうなんだけどね…ははっ。やっぱりまだ慣れてないのかな」
「今更」
「うん。でも、新鮮な方がいい。慣れてしまうよりずっといい…貰ってくれてありがとうな。池袋」
「3月を楽しみにしていると良い」
 池袋の言葉に、頬を染めて頷いた。その顔が何ともいえず池袋はそっと手を伸ばす。
「え?」
「お前が悪い」
 誰も見えない死角の場所で二人の影が重なった。
 来年も手作りにしようかな…。
そう思わせるくらい、有楽町にはとても甘い日になった。